Journey / 新谷祥子 -2022-

新谷祥子の新作が届いた。

『私ではなくて 木が...』以来、3年ぶり。
2020年2022年、コロナ禍において行われた、
仲井戸麗市との無観客配信ライヴから15曲がセレクトされたライヴ盤だ。

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初のライヴ盤制作には、彼女自身、逡巡があったようだ。
記録した曲や音を作品として発表することに対して、
自身が思い描くカタチはあるだろう。

  " わたしの作品はこうあるべき "
  " アルバムとはかくあるべき "

こうした感覚。
まして、その場限りのライヴという性質から、
作品化を迷うのはミュージシャンなら当然だと思う。
ただ、制作の過程で、マイナスに感じられていた要素は、
自分をポジティヴでプラスな方向に導いてくれるそれに変わったようだ。

その変化の理由を言葉として受け取るよりも、
届けられた音を聴いて判断したいと思っていたし、
聴けば理解できるだろうとも思っていた。
彼女自身が " 残したい、作りたい、伝えたい " と心から思え、
" 誇りであろう " とまで僕たちに言ってくれていた作品なのだから。

はたして…。

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彼女が言う " 渾身 " の15曲。
ここには無敵の新谷祥子がいる。

ライヴなので、これまでのスタジオ作品と音は異なるが、
それをいちばん感じられるのは歌…ヴォーカルだ。
マリンバの弾き語りという言葉から単純に受ける印象。
そして一聴すると線が細く、
人によっては弱々く聴こえるかもしれないヴォーカル・スタイル。
しかし、ファンならわかっているだろう、彼女の歌にある力強さを。

ここで言う力強さは、圧倒される " POWER " を指すのではない。
歌、曲、楽器、演奏への思いや想いなどの、とてつもないチカラである。

ライヴから感じられるこうした彼女のチカラが、
盤面にハッキリと刻み込まれている。
たとえばアルバム冒頭の「Green Field」。
聴いた人だけの四季それぞれの緑が浮かぶ、
この優しく美しい曲からも、既に強さが伝わる。
そのおかげでか、一層、緑が映えて見えた。
全曲がこの調子なので、曲から浮かぶ映像も、
僕の中にあったものと共に、新しい景色が広がっていく。
思いや想いのチカラを音として感じられるのは、
本当に素敵なことだ。

そして仲井戸麗市との5曲。
マリンバ、打楽器、ギター、そして歌と言葉が塊となり、
新谷祥子としての音が鳴っている。
「アトムが飛んだ空」のスタジオ・テイクに顕著であるが、
新谷祥子との共演では、お馴染みのスタイルとは違うプレイをみせるチャボ。
強い記名性があり、どんな場でも個性が消えないチャボのギターが、
見事に新谷祥子の音楽になっているのが素晴らしいのである。
ただ、ライヴではいつもの仲井戸節が出るので、
ライヴ盤ならではの演奏をこうして楽しめるのは嬉しい。

アルバムは「長い旅」と「未来」で終わる。
これまでの長い旅があり、これからの長い旅が未来となる。
マリンバ弾き語りを始めた当初から追いかけている身としては、
これ以上無い感動的な2曲である。

アルバムのタイトルは『Journey』。
これからも一緒に僕も旅を続けたい。
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お寺でSinger Song Marimba 新谷祥子 木と、糸 音 人 八王子市龍見寺 2021.3.14.

会場に入ると、いつものようにマリンバがドカンと置かれ、
その横にはパーカッションがセットされている。
ここだけを見れば、新谷祥子のライヴでは見慣れた景色だ。
ここだけを見れば…。

念のため書いておく。
ライヴの会場は、1803年(享和3年)に再建されたというお寺の本堂。
その本堂の床…いや、敷かれた畳の上にマリンバがドカンと置かれ、
横にはパーカッションがセットされているのである。

僕がここで観るのは6回目になるので違和感を感じないが、
初めての人はギョッとするだろう。
最初は僕も驚いた。
しかし、ここでの1回目のライヴで、
開催に関わった人たちそれぞれの想いや思いなどがMCで語られ、
この場で自分の音楽をどう届けるのか、どう届けたいのかを伝えてくれたので、
今ではお寺という会場を自然に、そして必然に思っている。

さらに、3回目から音響を担当する山寺紀康さんの貢献。
2回目までは、すべてが本当の手作り感に溢れるもので、
もちろんそれはよい意味で反映されていたのだけれど、
山寺さんが加わったことで、音響面のグレードが一気にアップした。
というより、お寺をライヴハウスに変えたのだ、山寺さんは。
お寺と言うことをまったく忘れてしまう音響は、本当に素晴らしい。
今回も、何のストレスもなく音を聴き、音に触れ、音に包まれることができた。

こうした音に対する信頼と確信が得られれば、もう鬼に金棒である。
今や彼女がホームと呼ぶ場所と環境を手に入れたわけだ。

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ライヴは、タイトルでもある " 木と、糸、音、人 " で始まり、
そして昨年の秋、仲井戸麗市とのDuetで公開された新曲が続いた。

その新曲は「グリーンフィールド」。
新谷さんらしい易しく、優しいメロディだからこそイメージの広がり方が無限。
四季それぞれの緑を聴いた人の数だけ浮かばせてくれる名曲だ。
ライヴのたびにこうして新曲を披露してくれるのも、
初めから変わらない魅力のひとつだ。

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  あたりまえのことがなんて愛おしいんだろう

最初のMCで、彼女はこのフレーズを口にする。
新谷さんいわく、今日のライヴはこの思いがすべて…であり、
よって、演奏される曲はジャンルの枠はなく、あちこちに飛ぶ…と言う。
はたして…賛助出演のクリストファー・ハーディとの共演を含めての、
その通りのプログラムは、1年半ぶりのお寺ライヴに相応しいものだった。

新曲と、2019年に発表された『私ではなくて 木が…』からのオリジナル。
ジャズのスタンダードに石川さゆり、
そしてバロックからチック・コリア、そして松任谷由実など、
こうしたいつも通りのオリジナルとカヴァーを交えて、
さらにクリスのソロ・パートと二人の共演もあるので、
音だけでなく視覚的にも見応えのある構成は素晴らしかった。

特に中盤で披露されたチック・コリア。
本当なら3曲演りたかった…と言っていたように、
追悼の意味もあり、二人による演奏は熱演と呼ぶに相応しく、
静ではなく、動の新谷祥子が爆発していた。
初めに戻るが、これをお寺の本堂、しかも畳の上で演っているのだ。
凄い。

カヴァーも、本当にあらゆるジャンルを取り上げるのだけれど、
音楽のジャンル分けが無意味に感じられるアレンジで演奏される。
これは僕が新谷さんのライヴを見始めてた当初から感じていることだ。
よく、どんなカヴァーを演ってもその人の色に染めるという表現があるが、
もしそうした教科書があったならば、いちばんに見本として載せたいと思う。

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音楽が素晴らしいと言うことは、その音楽にふれないとわからない。
しかしそれは、今までは当たり前で、意識しなかったことだとも思うが、
この日、この場にいた人は、
素晴らしい音楽にふれ、その素晴らしさを知り、
こうしたことがなんて素晴らしいんだろうと気づくことができたはずだ。

ライヴを観ることは素晴らしい。
そして、愛おしい。

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私ではなくて 木が… / 新谷祥子 -2019-

5年ぶりの新作。
14曲の収録曲は聴く前から構えてしまうヴォリュームだが、
逆にそれだけ曲に触れる機会が多いことの楽しみもあるわけで、
1曲目の音が出たとたん、その音に驚き、
確かにマリンバの音なのだが、最初はスティールパン的な音色を感じた。
演奏、使用楽器、スタジオなどを含む、
今の新谷祥子のフィーリングからのサウンドなのだろう。
これまでと異なる印象の音が心地よい。


この印象は最後まで、作品全体から感じられたが、
こうした "異なる " を、違う言葉で説明するとしたら、
例えば「別」の道を歩いたのではなく、
「新たな」道を作ったと表現すればよいだろうか。
新たな道を見つけたのではなく、作ったというのが近いように思う。
しかし新境地というのとも違う気がするし、
なかなかうまく言い表せない。
人が少しずつ変わっていく中で、
気づいたら新たな道が生まれていたのかも…しれない。
それは変化でもあるが、自然でもあるのだと思う。
レコーディングで感じたという変化・発見・刺激やマジックは、
きっと彼女自身が作ったものなのだろうと思ったりする。

『Pas a Pas』依頼というエンジニアの高田英男さんの影響もあるのか
音としてもバッチリと聴きごたえのある作品だ。

ライヴで披露されていた「美醜の星」や「Silver」の既発曲があっても、
新しいサウンドで提示されているのでまったくの新曲として聴けた。
そのためか、中盤までは緊張感を持って接していたのだが、
チャボのギターが鳴った瞬間にガラッと変わった。
彼女がブログにこう書いていた。
 
 " チャボさんのギターがどの部分で鳴り出すか、これもまたすごく重要でした "

あぁ、そういうことか…と思った。
「one day true love comes」から、
ワルツの「ピエロが歩けば」の流れはアルバムの肝で、
確かにここから色がつくというか、色合いが変わるというか、
華やかになる。
新谷祥子の音楽に入り込むチャボは最高だ。
今回のセッションもいい。

1stアルバムからじっくりと聴き返し、
新谷祥子の変化をあらためて感じてみたいと思わせてくれる作品だ。

お寺でSinger Song Marimba 新谷祥子 ゴンドラの唄 八王子市龍見寺 2019.6.28.

昨年はゲストにクリストファー・ハーディさんのパーカッション、
そして君塚仁子さんのオカリナを迎えての演奏だったが、
今回はオカリナが三浦咲さんのヴィブラフォンに変わった。

ヴィブラフォンといえば、過去に山本祐介さんと新谷さんの共演を体験済み。
その際の仲井戸麗市を交えた三人の演奏を思い出せば、楽器の相性はもちろん、
演奏がハマったときの美しさは知っているつもりだ。
更にお寺という場を感じさせない音響を作る山寺紀康さんが今回も就く。
条件は揃った。はたして…。

今年も素晴らしいコンサートだった。

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『お寺でシンガーソングマリンバ』は今年で5回目。
ということは龍見寺で僕の夏が始まるようになったのも5年目になる。
歩くだけで焦げるような時もあったが、今年は梅雨空。
しかし雨にたたられることはなく、お寺までの道も快適に感じたりした。

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2019年のタイトルは『ゴンドラの唄』。
ゴンドラから連想されるもの…水、川、舟などがテーマとなっていて、
そういったものにまつわる曲や歌いこまれている曲が取りあげられていた。
この縛りがあったからか、新谷さんには珍しく既発のオリジナルが演奏された。
「ブルック~女はいつも」と「とめようもない」の2ndアルバムからの2曲。
ライヴの度に新曲を披露するスタイルを通しているけれど、
過去のオリジナルを今のフィーリングで聴かせてくれるのは嬉しい。

カヴァーは今回のタイトルになった「ゴンドラの唄」を始め、
「ブルー・ライト・ヨコハマ」「リバーサイドホテル」など今回のテーマに沿った選曲。
途中で三浦さんとクリスのソロも挟まるのでゲストの色も濃く反映されるし、
披露されるのはクラシックから歌謡曲までジャンルを超えたものではあるが、
演奏を完全に自分のものとしているので、通して新谷祥子カラーが崩れないのはさすが。

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三人は楽器を “ 叩いて “ 演奏する。
これは楽器演奏で一般的に言われる “ 奏でる “ の感覚とは異なる…と思う。
この “ 叩く “ ことの激しさと力強さが視覚的にも音としても表現されるのだが、
伝わってくるのはそれとは逆のものになっているのが不思議である。
マリンバとヴィブラフォンから伝わる柔らかさと美しさが際立つ。
このトリオが叩くと、音は強さよりも豊さが増すのかもしれない。

各々のミュージシャンとしての力量は当然だが、それだけであの感じは出ないだろう。
その理由を考えると、やはりお寺という会場が大きいのだと思う。
この “ 会場 “ というのは、決して言葉そのものだけを指すのではない。
コンサートを企画しているスタッフの手作り感にあふれた雰囲気。
そして音響。
これを含めての “ 会場 “ だ。

まず、その手作り感は、5回目を数えるのに、かえって増しているように見える。
開演前や休憩時間に畳の上でお茶を飲みお菓子をつまんでいると、
あまりにもの普通さに囲まれたここはどこなのか、一瞬、わからなくなる。
しかし、こうした雰囲気に反比例するかのように、
一昨年からお客さんに届けられる音が格段に良くなった。
少なくとも、音に集中しているときの僕にとっては、
ここがお寺だということを完全に忘れるほどの音響になった。
僕のような仲井戸ファンとしては麗蘭・磔磔のPAとライヴ盤のミックスでもお馴染み、
山寺紀康さんがその犯人(笑)である。

ここでのコンサートが始まった当初は、
音響も新谷さん自身がステージ上で演奏と共にコントロールしており、
まさに音までもが手作りと言えたのだが、今では下手なライヴハウス以上だ、マジで。
特にヴォーカルは本当にきれいに聴こえるようになった。
音が大事なのは当たり前なのだが、そのスタートから知っている者としては、
現在の状況は、やはり感動的である。

そんな本格的な音響を手に入れた手作り感というものは、
お客さんだけでなく演奏者にもよい影響を与えるものなのだろう。
昨年も感じたことだが、演奏する三人に絶えない笑顔がそれを証明しているかのようだ。
素晴らしい演奏が良い音で届けられ、そこに笑顔があふれている会場。
それを素敵だと言わないのならば、世界に素敵はない。

本格的な会場でも聴いてみたいなぁ…と思ったことは白状する。
しかし、ここ、龍見寺だからこそのコンサートなのだろう、きっと。
ライヴハウスやホールでこの音を聴くことは、おそらくできない。

今年も僕の夏がやって来た。
入口から少し歩みを進めれば、新谷祥子の新しいアルバムが届く。

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お寺でSinger Song Marimba 新谷祥子 Fly Me To The Moon 八王子市龍見寺 2018.7.1

この時期に龍見寺に来ると、夏が始まったなぁと感じる。
今年で4回目。
僕にとって夏の入口になる恒例のライヴになった。

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バス停からお寺までの道に感じる灼熱の暑さも、
いざ会場に着くと心地よくなるような気がする。
それだけ僕の中の期待が高まっているのだろうし、
毎年、新谷さんはそれに応えてくれているのだが、
今年は期待以上と言うことを超えて、
もう去年までとはまったく違うものを体験させてくれた。

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こんにちは~と扉を開けて入る。
受付を済ますと、冷房が効いた畳の広間に通される。
テーブルと座布団。
用意された飲み物でライヴ前とは思えない寛ぎの時間を過ごす。
そして開場時間になるとお寺のステージへ。
どどーんとマリンバが中央に置かれているのはお馴染みだが、
今年はパーカッションのセットも並ぶので、迫力が違う。
これだけでいやがうえにも期待が高まった。
さっきまでのリラックスした感覚から、気が引き締まる瞬間だ。
こうした開演前とまるで異なる雰囲気を楽しめるのもここならではである。

更に、昨年に続いて山寺紀康さんがPAを務めるので、
お寺であることを忘れる音響で楽しむことが出来た。
加工され特別に作られた音ではなく、自然に鳴っていたのが素晴らしい。
1年前とまた同じことを書く。
下手なライヴハウスよりもいい音だった。

今年のテーマは月。
夏の昼間には似合わないが、かえってそれが独特の魅力を醸し出す。
演奏されたのはオリジナルはもちろん、クラシックやロック、唱歌などのカヴァー。
ごちゃまぜのジャンルだが、新谷さんのマリンバ弾き歌いを通すことで統一感を持ち、
新谷祥子と言う一本の柱となって僕たちの耳に届けられる。
さらに今回はクリストファーハーディのパーカッションと、
君塚仁子のオカリナが色を添えるのである。
無敵だろう。

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三人の演奏は、屋内なのだがまるで野外で聴いているような解放感があった。
その理由は、各々のミュージシャンとしての力量は当然なのだが、
新谷さん、そしてハーディさんと君塚さんに共通する笑顔である。

  音楽と笑顔って、何でこんなに似あうんだろう

あの場にあったあらゆるモノを楽しんでいたであろう三人をみれば、
誰だって幸せな気持ちになると思うし、実際に幸福感に満たされた時間だった。
休憩を挟んで2時間ほどの短い時間だったけれど、
音楽を聴くことの素敵さを存分に味わうことが出来た。

マリンバとオカリナのデュオで演ったベートーヴェンの「月光」では、
二つの楽器音が途切れた瞬間を待っていたかのように鳥が鳴いた。
都会の月をイメージしたという仲井戸麗市「月夜のハイウェイドライブ」は、
マリンバでの弾き語りに実に似合う名曲になった。
月は出てこないけれど…と歌われたRCサクセションの「スローバラード」は、
ハーディさんのパーカッションが加わったことで、
シンプルながらも、きっと月が出ていたであろう情景が浮かぶ演奏が素晴らしかった。
井上陽水の「東へ西へ」は唯一ハードなモードで聴きごたえ抜群。かっこいい。

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龍見寺ならではのライヴだったと思う。
でも、僕はこの三人をまた観たい。
そして、今回の限られた人たちだけでなく、
もっとたくさんの人に体験してもらいたいと思った。

ぜひ、またどこかで。

お寺でSinger Song Marimba 新谷祥子 木色エレジー昼の部 八王子市龍見寺 2017.7.1

龍見寺でのライヴは今年で3回目。
通常フォーマットのライヴでは無いことでの、
いわゆる音響や照明など演出面でのマイナス点はどうしたってあるが、
昨年まではよい意味で手作り感に溢れた内容のおかげで払拭されていた。
それどころか曲の合間に聞こえる鳥の声、吹き抜ける風、雨の音など、
ここでしか味わえない自然のSEが素晴らしい効果をあげていて、
唯一無二の世界を作り上げていた。

僕にとって龍見寺のライヴは何だか夏の入口になっているようで、
今年も八王子に来るのが楽しみだった。

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スタッフが会場の…お寺の入口で笑顔で迎えてくれる。
環境から感じられることも含めたこの優しい雰囲気は新谷さんならではで、
既にここからライヴはスタートしているように思える。

開場後、マリンバを見た途端に気づくこれまでとの違い。
楽器にもマイクがセットされ、後方にはPAスピーカー。
フライヤーを確認すると、何と音響に山寺紀康さんの名を見つける。
チャボのファンには知られているし、
新谷さんのキッドアイラックホールでの音響も担当されていた。
そういうことならば音は期待できる…の思いは、はたして期待以上だった。

もちろん、音響やセットなどすべてが手作り感あふれるこれまでのステージも味があった。
しかし、とても簡素にしか見えないが、この音響設備の効果は凄かった。
特にヴォーカルの聴きやすさはバッチリで、お寺の中というのを忘れる瞬間があり、
下手なライヴハウスよりも良い音に感動した。

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過去に体験してきたライヴから、新谷さんがオリジナル曲以外で取り上げる曲の、
そのジャンルの多彩さは承知しているつもりだが、ここ龍見寺でのそれは、
彼女が持つすべてのジャンルを惜しみなく出しているように思える。
この日に演奏されたインストゥルメンタルと洋楽以外の曲を、
思い出せるだけ順不同で挙げてみる。

「悲しい色やね」「Mr.サマータイム」 ※「百万本のバラ」
「黄昏のビギン」「真っ赤な太陽」「朝日楼」
「戦争は知らない」「赤色エレジー」…といった具合だ。

※「100万本のバラ」追記
新谷さんのブログにも記されたように、当日のこの曲は加藤登紀子さんのヴァージョンではなく、
その原曲となった「マーラが与えた人生」が歌われた。
http://shokoaraya.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/index.html#entry-114794964

さらに、ここにエリック・サティや武満徹、ベット・ミドラーなどが挟まれる。
この振り幅こそが魅力なのだが、これらすべてが新谷祥子色に染まり、
まったく違和感を感じさせないことが素晴らしい。
もしかしたら、今の新谷祥子のすべて…か、
それに近いものを観ることが出来るのが龍見寺のライヴなのかもしれない。

間違いなくこれまでの龍見寺ライヴでは最高の出来だった。
夏の龍見寺は新谷さんにとってもファンにとっても、
今後も恒例になっていきそうな予感がする。

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p.s.
スペシャルゲストとして、
高尾山とんとんむかし語り部の会の方が「亀の念仏」というお話を聞かせてくれた。
音楽では無かったが、何ともこの日に似合っていた。

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夜の部はオカリナの君塚仁子さんがゲストだったとのこと!
うわ!観たかったなぁ。

ひとときのうた 新谷祥子マリンバシアター2016 キッド アイラック アート ホール 2016.12.1

キッド アイラック アート ホールでのマリンバ・シアターは4回目。
しかし、残念ながら会場が年末で閉館ということで、ここでは最後の開催となった。
もちろん新谷さん本人はこのシリーズを続けていくことを宣言していたが、
それでもラストらしく、前半は過去3回のプログラムを振り返る構成で進んだ。

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1回目はゲストに山本祐介さん(vibraphone)を迎えての寺山修司没後30年トリビュート
2回目は3rdアルバム発売記念ライヴ
3回目はオカリナの君塚仁子さんをゲストに迎えた鳥を歌う、鳥を弾くと題されたライヴ

これらの様子を語りながら、そこに纏わる曲を演奏していくのだが、
そのときに演ったのとは別の曲を披露してくれたのが実に新谷さんらしい。
中でも、歌詞に鳥が出てくることで歌われた「雪が降る」は、
演奏と歌はもちろん、照明の演出も含めて印象に残るハイライト・シーンだった。

さて、4回目のこの日。
新谷さんのオリジナル曲を聴きたいという僕自身の希望は叶えられたのだが、
やはり、というか、またしても、というかの新谷祥子だった。
これまでのライヴ同様、ほとんどが新曲であった。
発表されている3枚のアルバムには、もちろんライヴの核となりうる曲もあるし、
この日に限っても、テーマに似合うというか、相応しい曲だってあったはずだ。
それでも、彼女は新曲を演るのだ。

演奏よりも歌うことが上になり、
言葉をつけることが先にくるというニュアンスのMCがあったように
今の音楽的キャパシティで最大限に占められ優先されているのが " 歌 " なのだろう。
もしかしたら、マレットでマリンバを叩けば、
その一音ごとにひとつの言葉が生まれているといった状態なのかもしれない。
そう思ってしまうほど、ステージ上の彼女からは歌うことの喜びと楽しさが伝わってくる。
歌われる唄、奏でられる音だけでなく、
こうした本来なら見えない感情を掴めることが、新谷祥子のライヴの魅力だ。
だから感動するのだ。
もはや彼女の世界は演奏と歌だけで表現されるものではない。
ステージに立つその存在そのものがひとつの表現となっていたと思う。
表現者・新谷祥子を強く感じた80分だった。

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タイトルの ひとときのうた は、
マリンバ弾き歌いを意味する 人と木 であり、
日常を離れることの 非と時 でもあるという。
まさにその通り。
そこには人と木の響きあいがあったのみ。
キッド アイラック アート ホールに非と呼べる時が生まれていた。

お寺でSinger Song Marimba 新谷祥子木々打ち唄うラブソング 八王子市龍見寺 2016.7.2

昨年のちょうど一年前に続いての八王子龍見寺でのライヴ。
7月になったばかりだというのに、既に真夏を思わせる日差しを浴びて館町を歩く。

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前回は雨天だった。ただ、おかげで雨音と風の音、
そして鳥の鳴き声という自然のサウンドが新谷さんのマリンバに色を添えていた。
それは今回も同様だった。
お寺ならではの独特な音の響き。
そして鳥の声や水の音など自然のSEに囲まれた雰囲気はここでしか味わえない。
途中でヘリコプターの音も聞こえてきたが、それさえも演出になっていた。
実際には、新谷さん自身は出音に苦労していたようだが、
この場所ではバランスや大きさだけでははかれない音を聴けることが魅力だ。

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テーマはラヴ・ソング。
新谷さんのオリジナル数曲と、多くのカヴァーで構成されていた。
カヴァーはいつも通りに直球な選曲で、音楽好きならばすぐに反応できる。
たとえばビートルズの「イエスタデイ」や中島みゆきの「糸」などがそれだが、
マリンバ弾き語りと言うのがミソで、こうした聴きなれた曲でも初めて触れる音になるわけだ。
個人的にグッときたのは「スカボロー・フェア」。
お寺という会場にマッチした、実に美しい音が鳴っていた。
オリジナルでは3rdアルバム収録の「長い旅」。
CDではしっとりと歌われているのだが、
ライヴではリズミカルにアレンジされたヴァージョンになっている。
しかし、新谷さんはここに電車が走る音、
がったんごっとん、しゅっしゅっぽっぽ…を加えるのだ。
これが実に曲調にマッチする。
もちろん聴く側のアタマには電車の映像が浮かぶわけで、
単に観て聴くだけではない体験をすることになる。
どこまで意識的なのかはわからないが、ライヴとしては素晴らしいアレンジだと思う。

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中盤で仲井戸麗市の「プレゼント」が歌われた。
ラヴ、愛、LOVE…は、人と人のものだけではなく、
もっと大きなものと捉えた曲…というようなニュアンスで紹介していたが、
この日のテーマが、まさにそれだったと思う。

新谷さんがラヴ・ソングをテーマにしたお寺でのライヴを観た後、
僕の中に残った自分にとっての愛、そしてラヴ。
それは一般的な男女間の愛や恋を指すものだけではなく、
ほんの小さな毎日の中での、しかし確実に存在するもっと大きなラヴである。

いや、やっぱり言い直す。

ライヴ後に残ったのではないな。
残してくれたのだ。
新谷さんの歌とマリンバと、思いや想いが。

君塚仁子&新谷祥子 「木と土と歌と」 二子玉川kiwa 2016.4.16

二人の共演を観るのは2回目です。

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オカリナとマリンバ。
前回は、何しろ初めて体験する音だったので、
うまく言葉としてまとめることができませんでした。
それを自分が使える単語で表すわけですから、
EL&Pを彷彿させるプログレ的な快感というように、
わかったようで実はハッキリしない表現でまとめた次第です。
ただ、演奏から映像が浮かんだのは確かで、
それは今回も同じでしたから、この感覚は間違っていなかったと思います。
特に今回は故郷というテーマが少なからずあったのではないでしょうか。
MCでも触れられていましたし、熊本での地震のこともありましたから、
ライヴを観て聴いたお客さんそれぞれの中に、
故郷や故郷を思う何がしかの映像が浮かんだのではないかと想像します。

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オカリナとマリンバという楽器から想像できるのは、
一般的にはソフトな音だと思います。
しかし、この二人の演奏は、その音色に反してかなり力強いし、
アレンジも即興的なものが多いです。
かつこれまで聴いたことがない組み合わせでもあるので、
気楽に構えていられず、ライヴは独特の緊張感に満たされることになります。
しかし、これがかえって心地良いのです。
たとえば、カヴァーは誰もが知っている有名な曲が取り上げられます。
「コンドルが飛んでゆく」や「遥かなる影」などがそれで、
だからこそ、前述した二人の演奏が魅力的に聴こえるのです。

あの曲をこうするのかぁ…という楽しみ方は、ギターやピアノであれば想像の範囲です。
これがオカリナとマリンバなのですから、やはり新鮮に響きます。
逆に、楽器のイメージからイージーリスニング的な音を想像することも容易ですし、
君塚さんがオカリナで主旋律を奏で、新谷さんがマリンバでボトムを支える形ならば、
おそらく気持ちよく聴くことができるでしょうが、同時にそこにスリルはないとも感じます。
ここでのスリルというのは、よい意味での違和感やノイズ的な要素を指しますが、
これがそのものだけに終わらず、快感になるのが優れた演奏だと思います。
オカリナのフレーズをマリンバで支えるのではなく、ぶつけるというニュアンス。
演奏のこうした特徴から、二人がそれを目指しているのは明らかで、
だからこそ流れていかずに耳に残るのでしょう。

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白眉だったのは「朝日樓(朝日のあたる家)」。
オカリナとマリンバによるアレンジなので、
他と比べようがないのですが、だからこそ印象に残りました。
こうしたチャレンジ的選曲を今後も期待したいです。

オカリナとマリンバを組み合わせれば、
独特の強さと緊張感を持つかと言えば、それは?です。
やはり新谷さんと君塚さんだからこその音なのでしょう。
あらためてそう感じました。
もしかしたら最強の組み合わせかもしれない…と前回は記しましたが、
この気持ちは自分の中で更新されたように思います。

鳥を歌う、鳥を弾く 新谷祥子 Marimba Theater 2015 キッド・アイラック・アート・ホール 2015.11.6

新谷さんのライヴから僕が感じることのひとつに、
プログレッシヴ・ロック的な快感があります。
例えば、仲井戸麗市とのインスト・セッションからは、
無機質で乾いた音…の、イエス的なそれを。
そして金子飛鳥とは、即興的演奏ながらもキメがビシバシ決まる、
計算されたインプロ…のようなキング・クリムゾン的なそれを。
こうした英国のプログレ感は個人的なものですが、実際に感じます。
そして今回の君塚仁子さんとの共演からも、プログレ的な快感がありました。
思い浮かべたのはエマーソン・レイク&パーマーです。

新谷さんと君塚さんのセッションからは映像が浮かびました。
ただし、決してハッキリとした図や景色ではありません。
しかも、それらが何の映像や絵なのかもわかりません。
さらに、花火のように一瞬に浮かんで消えるものばかりでしたが、
間違いなく音から何かの絵が見え、映像を感じました。
思えば、中学生の頃に初めて聴いたEL&Pの『展覧会の絵』は、
そのコンセプトからも、曲を聴きながら絵を思い浮かべられる独特のものでした。
何の知識がなくても、聴いていて実に気持ちがいいものでした。
こうしたことからEL&Pを連想したわけですが、
もちろんプログレ的なことが素敵なのではありません。
何と言ってもマリンバ・シアターです。音から映像が浮かんだことが素敵なのです。

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それにしてもオカリナをかっこいいと思ったのは初めてです。
特に「気ままな悪魔」という曲では、その高音を効かせた演奏が、
ビートルズの「Penny Lane」に入っているピッコロ・トランペットを連想させます。
この日のライヴのハイライトだったと思います。

オカリナもマリンバも優しく柔らかい音ですが、ふたつが組み合わさると、
その優しさと柔らかさが倍増し、独特の鋭さを持って聴こえるのです。
もちろん楽器ではなく、新谷さんと君塚さんだからこその音なのでしょう。
とにかくどう形容していいのかわからないのですが、心地よく耳に突き刺さる音でした。
もしかしたら最強の組み合わせかもしれない…とも感じます。

さて、この日は " 鳥を歌う、鳥を弾く " というテーマでのライヴでした。
オリジナルとカヴァーを含めた鳥に因んだ曲は、
演奏前に新谷さんが解説をしてくれるので、その世界にすんなりと入れます。

印象的な演奏ばかりでしたが、ソロ・パートでは「かもめはかもめ」かな。
中島みゆきの世界も新谷さんには合うということがわかりました。
次は「この空を飛べたら」をお願いしたいと思います。

共演パートでは「紅カラス」。
オリジナルはチャボのギターが素晴らしい効果をあげているのですが、
君塚さんによる味付けは、違う魅力を引き出していました。
新谷さんの歌ものを、この二人のセッションでもっと聴きたいです。
「土」「冬の線路」あたりがいいかなぁ。

マリンバ・シアターのタイトルからすれば、
今回、僕の中に映像が浮かんだことは、まさにシアターと言えるわけで、
そのテーマ通りの内容のひとつだったことではあります。
しかし、新谷さんのシアターはこの程度のものではないでしょう。
音楽…メロディと歌詞。もちろんオリジナルとカヴァー。
そして言葉と詩。
新谷さんがスクリーンに描きたいもの、描かれるもの、
そして描いてほしいものを含めて、僕も一緒に観ていきたいと思います。
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